追悼の辞
われら、本日ここに、沈痛なる気持ちのうちに、日本軍国主義の発動せる侵略戦争のなか、日本に強制連行され、苦役のうちに惨死せる中国人を、思い起こし心に刻まん。生命を奪われし難友に、心からの哀悼の意を表さん。
50余年前、日本軍国主義者は大規模な侵略戦争を発動し、その侵略戦争を維持せんと、中国より大量の労工を日本に強制連行せり。われら千名近い難友たちは、鹿島組の棍棒と鞭のもと、劣悪なる条件と非人間的扱いのもと、過酷なる労働に従事させられ、抑圧と虐待をほしいままにされたり。一年余りの間、四百余名の難友、花岡の地に死せり。
1945年6月30日、花岡の中国人労工は、やむなく抗日の「花岡暴動」に決起せり。それは、日本軍国主義者に対し、中国人民の不屈の反抗精神を示せり。また、暴動を通じて、世界に対し、日本軍国主義が中国人の血と汗を、野蛮で凶暴で非人間的に搾取し、かつこの世のものとも思えない血なまぐさい弾圧を加えたる罪行を暴露せり。暴動は、世界の反ファシズム戦争史上に、大いなる歴史的意義を刻めり。
2000年11月29日、花岡受難者代表による苦難な闘争、そして中日両国の平和愛好人民の大いなる支援により、花岡訴訟は、90年7月5日の「共同発表」を再確認のうえ、和解を達成せり。55年の血と涙の歴史の無実が雪がれ、正義が実現され、花岡の死難労工の英霊たちは慰籍されたり。同時に、他の戦後補償要求に、モデルたる新方式を創造せり。
我らは、先烈たちの遺志を継承し、引き続き加害者の責任を追及し、必ずや花岡闘争の完全なる勝利を手にせん。
「過去を忘れず、将来の戒め」という。我らは、必ずや歴史を心に刻み、歴史を鑑とし、中日両国の子々孫々の友好と、世界の恒久平和のために不断の努力をかたむけん。
最後にもう一度、我ら死難せる中国労工に、哀悼の意をささげん。
2003年6月30日
花岡受難者聯誼会(李克金の子、李保国代読)